今日コミックマーケットだったみたい。僕も本を持っていったことがあって、当時25歳だったから、9年も前だ。

9年前、「残念だけどこの人ゲーム完成できなさそう…」と思った人が、ちょっと前に会って、そのままだった。良い方に予想外れることもあるけど、大体、他人から見ても分かるほど明らかに「制作完了できない生活習慣(行動パターン)」で日々動いちゃってる場合が多い。

その人には否定的にそのことを話すことはしない。別に悪いことじゃない。それが楽しい場合もある。完成させないことで、リリースや告知や税務などの事務をまったくしなくて済むので、趣味としては純粋な状態が維持される(場合もある)。

だけど、完成させたい人なら、パターンを変えた方が良い。今週中に小さいゴミ完成させる。できたら次はゴミみたいなカレー。次はカレー。参鶏湯。ミニおせち。なれてきたら月餅みたいなの(月餅は難しくて、ゴミと参鶏湯とミニおせちが作れないと、まず作れない)。

完成というのは、お弁当容器に入って、フタもしまっていて、食器もついてて、客一人で最後まで消費完了できる状態になっているものを言う。「パッケージになってる」とも言う。ゴミに目次と奥付と表紙をつけたら、初めてゴミ本が完成する。それができず、作り途中だと思われるようなものしか作れない場合は、その内容をもっと小さく、よりゴミなものにしなければならない。常に「コンテンツを作る労力以外の余力」を残しておいて、パッケージ化するためにそのパワーを割かなければならない。

ゴミゴミ言ってるけど、ゴミっていうのは悪くない。僕はゴミが好きだ。だけど多くのゴミ愛好家は、完成したゴミを愛する。それはなぜかというと、作者がそのゴミに注いだ愛情を読み取れるからだ。完成過程にそれが備わる。

赤ちゃんは、原付免許の取得を目指すべきじゃない。それは15年後の楽しみにしておいて、まずは目の前の、ドロドロになったさつまいもペーストを嚥下することに集中しなくてはならない。できれば赤ちゃんらしく、よだれかけにも分けてやるぐらいの余裕が必要だ。だから原付のことなんて考えてる余裕は無い。

いつまで経ってもゴミしか作れなかったり、自分がおいしいと思うカレーが誰にも評価されなかったり、色んな悩みが人それぞれあるけど、「出発したい人が出発できない」のは、一番解決しやすい。今出発すれば良いだけだからだ。

今でしょ!」の真意は、「今終わらせる」ということにある。「今始める」は誰でも出来る。「今日やるべきことを、今日終わらせる」。それができたら1週間単位、1ヶ月単位と、自分の理想の規模に広げていく。

天竺をめざすのもいいけど、楽しい道中を今日、今週、今月積み重ねていけば、どこに辿り着いても、そこが天竺だと思えると思う。それがまた悪く作用することもあるけど、それは「月餅が作れて当たり前になった人たち」にとっての課題だ。